cirrus’s writing a note

私が書き溜めたノート。言葉の力で、あなたの心を軽くしたい

ポジティブ思考やネガティブ思考になる方法

ノートに書き留めた言葉で、あなたの心を軽くしたい。

 

言った言葉が自分に返ってくる。ポジティブな言葉は、ポジティブになれる。

ネガティブな言葉は、ネガティブになる。

 

「最高だな~」「素晴らしい」「キレイだ」「ありがとう」自分や他人を誉めたらポジティブになれる。

 

そして、ポジティブ思考は時間を早めてくれる。

 

 

ネガティブは逆だ。ネガティブを言えばネガティブになる。

「ダメだ~」「出来ない」「限界」「嫌い」自分も他人も唱えると、どんどんダメになる。

 

でも、ネガティブな時の時間は濃くて遅くなる。濃い時間は学習効果を与えてくれる。きっと少しだけネガティブも必要だ。

 

 

私たちが何気なく言っている言葉。ジェスチャーだけでは伝わりきれない、詳細な情報を伝える為に進化してきたと言われています。要するに、他人に伝えるツールです。

 

1.言葉は脳の活発な活動

言葉を理解し、表出(話す)するのは私たちの脳です。

相手からの言葉を聞いた時、言葉として理解して、それを過去の記憶と絡めて、感情が沸き起こって、納得できたりしています。

話をするときは、伝えたい感情が、過去の記憶と絡まり、言葉として単語になり、文章を作って、話として出てきます。

 

要するに、人の話を聞くことも、伝えることも、自分の脳がたくさん活動しています。

 

それは、相手に情報を伝えるだけのツールだけではなく、少なくとも、言葉を通して、自分の感情も揺れ動きます。

 

2.ネガティブな人

人のことを悲観ばかりして、悪口を言っている人は、明るくポジティブでしょうか。

自分に自信がない、俺には出来ないと言っている人に、大きな仕事が達成できるでしょうか。

 

3.ポジティブな人

素直に感動したり、喜べる人に暗い人がいるんでしょうか。

ありがとうと積極的に言っている人にネガティブな人がいるでしょうか。

 

言葉の使い方をみていても、ポジティブで明るい人は、自信をもっていて、関わりやすいと思える印象を与えてくれます。

 

4.どちらがよいのか。

では、すべてがポジティブになればいいのかというと、そうとは言えません。

ポジティブな時は、ノリに乗っています。充実した暮らしが出来ているならば、時間の経過が早く、勢いのまま過ぎ去っていきます。これ以上進んでしまっては失敗してしまうことや、もうやめた方が良いということにも気がつかない。もし気が付いても取り返しのつかない失敗をしていたという危険が潜んでいます。

もし、失敗したらどうなのだろう。という最悪の想定まで出来る時は、ネガティブな思考が働いている時です。途中で諦めて引き返すという、冷静な決断が出来ることは、続けるよりも難しい選択です。

 

ポジティブとネガティブの割合は、一概にも言えません。状況に応じて常に必要性は変動しています。しかし、基本的にはポジティブが優位である方が、幸福感があると思っています。

世界最弱のヒーロー

ある日、私がいつものようにノートを開くと

 誰かが、私のノートに書置きを残していました。

 

その言葉は…

 

アンパンマンは『世界最弱のヒーロー』

 

ちょっと汚れたり、雨に濡れるだけでも

 

ジャムおじさんに助けを求める。

 

でも、いざという時には、自分の顔を

 

ちぎって食べてもらう。そして、戦います!!

 

それは私たちも同じ。

 

みんな弱いけれど、

 

そうせずにはいられない時もあるのです。

 

 

こんな素敵なことを書いてくれたのは、妻でした。余白にはアンパンマンの笑った顔も添えられていました。

 

世界最弱のヒーローという表現は、優しく私の背中を押してくれるようでした。

この日もいつも通り、話の聞き役になってくれていて、たくさん心配をさせていたのでしょう。

一番側にいる人を心配させている。自分の足で立つんだと、何度も何度も自分に言い聞かせていました。

 

妻に勇気をもらいました。とても感謝しています。

潜在意識の声を聞いてみる

私の経験から生まれた言葉で、あなたの心を軽くしたい。

 

 

私が決めたことは、そのままでいい。

 

世の中は新たに出逢う人、起きる事実に満ち溢れている。

 

出会う人や、起きる事実は今の自分に必要か?

 

そのままを受け入れようとすると、不安や拒絶が起きてしまう。

 

自問して、新しい自分に進化しよう。

 

自分の心の声を聞こう。

 

 

本当は納得していないのに、決まりきったかのように威圧的に迫られてしまうと、どうしても従わざるを得なかった。NOというだけの勇気も、意見も、頭の回転も持ち合わせてなかった私は、ほとんど反射的にYESと返事をしてしまう。

 

そして、家に帰って愚痴る。

なぜ、その時言い返してやれなかったのかと、後悔してまた落ち込んでしまう。

 

幼少から号令と共に列を乱さぬように整列し、人と同じように生きていけと教えられてきた私にとっては、反射的に相手の意見に賛同してしまう。幼少からの習慣として教え込まれてしまっているらしい。そこに私の自由な意思はなく、プログラミングされた返答をしているにすぎず、制御できなかった自分を責めていた。

 

しかし、ただ嘆いているだけではなかった。何も言い返せない屈辱と反省は、新しい自分を作るために、何度も心に書き溜め続けていた。

 

その書き溜めたエネルギーを放出するには、怒りという感情のトリガーを引いた時だった。それは決して上手く表現したとは言えないけれど、強い気持ちを持っていた。

 

きっと、それが自分を貫けたきっかけだったのかもしれない。

 

 

 

世の中は情報で満ち溢れている。私の目の前にいる人が全てではないし、言っている事が正しいと決まっている訳ではない。それならば、自分の思っていることだって、重要な情報の一つになるし、見方を変えれば正解にも不正解にもなる。

 

その一つ一つの情報を丁寧に扱うことが大切なのだと思う。今の自分に必要なんでしょうか。従うべき指示なのでしょうか。意味のあるものなんでしょうか。

 

潜在意識の中にある自分がいて、どうなのかなと考えていたり、少し忘れているような時に、ひらめくようにして考えが浮かび上がる。それは突然、方向性が決まるように、確信をもったりもする。心強い味方がいるように思えるので、自分の潜在意識の中には自分を助けてくれる心の声があるように感じる。

 

この言葉がひらめいてから、しばらくは自分のポリシーのように大切にしました。

爽快な朝のランニングを始めました

私の経験から生まれた言葉で、あなたの心を軽くしたい。

 

cirrus7129.hatenablog.com

 

朝はスロースタート。

 

気にすることはない。毎日繰り返しているんだから。

 

だんだん上がっていくよ。

 

 

朝、日が昇る前に浅い眠りから目を覚ましていました。鬱症状でみられる睡眠障害の中の早朝覚醒です。そこから眠りにつくことは出来ず、布団の中でネガティブな思考が走り出してしまいます。

特に些細な事でも、気がかりなことがあると、なかなか寝付けず(入眠障害)、途中で目が覚める(中途覚醒)もあり、ほとんど寝ていないんじゃないかという状態で朝を迎えている日もありました。ストレスを感じ始めた時は連日続いてしまい、休みの日は家から一歩も出たくない日もありました。

 

しばらく、ストレスのかかる環境に慣れてくると、3・4時間くらいの睡眠でも省エネ状態で1日を過ごせるようになってきます。眠れないことに変わりはないのですが、少し冷静になれてきます。

 

朝目が覚めると、体のダルさとは反対に頭の中で活発に考え始めます。起床後3時間は最高にクリエイティブな時間で、生産性が高くなるはずなのですが、憂鬱な私の場合は、発想力がネガティブな方向にしか行かないので、辛い一日の始まりのようでした。

 

それがいつもの朝なので、だんだん慣れてきます。「また始まったな」という、客観視できる余裕が少し生まれてきました。

布団からは出たくないので、そのまま布団でネガティブな思考を巡らせていたましたが、目が覚めてるし走ってみようかなと思いました。

 

外を走ってみると、群青色の空から日が昇る朱色のコントラストが非常に美しかった。空を見上げながら走る高揚感と爽快感に感動しました。そこにはネガティブな思考は入らず、ただ夢中になって走り続けていました。

 

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ストレスの根本は変わらないけれど、少しの時間でも爽快な気持ちになれることは、助けになります。前を向ける一つの原動力になりました。

 

憂鬱だった時に、たまたまやってみた朝のランニングでしたが、今では私の趣味となって楽しんでいます。美しい空を見上げながら走っていくと気持ちがふわっと軽くなり、いくらでも走っていられそうです。

 

そんな気持ちが私のアイコンの写真であり、シーラスという名前になっています。

 

 

直観(ワクワク感)で出会った人とは、何かが始まる予感がある

私の経験から生まれた言葉で、あなたの心を軽くしたい。

 

 

ワクワクする気持ちに素直に従う。

 

それはきっと、何かが始まる予感。

 

全てがあなたの糧になる。

 

振り返った時、辛かったことも、美しい思い出で映してくれる。

 

 

人生にスパイスが加わる瞬間があります。そのスパイスはとても大きな学びとなって自分が成長したなと、振り返った時に感じさせてくれます。スパイスは、やはり辛く厳しい物であったり、甘く優しい物でもありますが、私の思考に居座る存在に出会うことです。

そんな時が訪れる瞬間は、いつもワクワクしている時でした。これから起こることが楽しみだなとワクワクしていたり、その人に話しかけてみようかなとワクワクしている時です。過去に私に影響を与えた人たちはいつも、そんなシチュエーションで出会うのです。

しかし、現実はワクワクからどん底に落とされる感じです。ワクワクして、期待して出会えたと思っていたら、苦労する種となっていることが多いです。

 

一つは、自分の構想がポジティブな面しか考えていないからだと思います。気持ちが上向きな分、期待を裏切られた時のネガティブな想定がないので、その時には脳をフル回転させて対処しています。人生には良いことだって悪いことだって起きることは当然なのですが、ワクワクが危機管理を鈍らせてしまっている可能性があります。

 

二つめは、相手の思考に押されていることです。私から近づいておいて、相手のペースになってしまいます。私が前向きな構想を作ろうとも、相手のペースに変わってしまう。結局相手を支配しようとでもしなければ、うまくいかないんだと思います。(そんなこと私には出来ませんが…)

 

そんなワクワクの時に出会った人たちに翻弄されながら生きている時間がありました。その人達は私に期待してくれたり、楽しいことを提供してくれたりと良いこともあるのですが、最終的には、試練となって存在し、私の思考に居座るようになっていきました。

 

しかし、振り返ると、その時の時間は濃密で時間の経過は遅く感じ、自分の心に対峙できた貴重な時間だと思います。1年という時間が非常に長く、いくらでも思い出が残っているような状態です。この時に書き残したノートは、内省した自分の創造的な言葉がたくさん残っています。

 

反対に、時間が早く感じる時は、熱中してる状態でフロー体験をしやすいです。時間の経過は早く感じ、爽快な感覚ですが、自分の存在がなく作業に没頭しているので、自分に振り返ることはありません。より高度な能力が発揮されるので、課題を完遂したり、新しい物を作り上げるには良い効果ですが、内省することはないので、洞察にかけてしまいます。

 

フロー状態であることは素晴らしいですが、時間の経過があまりに早く過ぎてしまっては、年代の良さを味わう前に次に進んでしまうように思います。

 

時々立ち止まってみながら、今まで知らなかった自分を知れることや、生きる意味を見直してみる時があっても良いと思います。

 

過去を振り返ると、いつの間にか、辛かったけどその人に会ったから今こんなに成長しているんだななんて、美化されています。過去の経験を前向きに捉えられるようになった時、過去の自分と今を比べてみると随分変化していると思います。

 

生きてきた過程に、無駄な物はないように、どんな過去も糧になって、今の自分がいるのだと思います。

人の心は誰にも分からない。

私の経験から生まれた言葉で、あなたの心を軽くしたい。

 

心理学の研究者でも、人の全ては分からない。

 

他人の心は計りきれない。あなたが感じたことは、あなたにしか分からない。

 

だから、皆同じやり方は当てはまらない。

 

 

人の心は常に揺れ動き、変化していきます。相手の気持ちを汲み取ろうと、寄り添って、努力することは出来ます。その時、相手と通じ合った瞬間は、お互い言葉に深く共感し合っているコミュニケーションが行えます。あたかも、自分がその体験をしているかのように辛い気持ちになり、胸が苦しくさえなるのです。私は相手にアドバイスをしたくなります。相手にとってより良い人生を送ってほしいから。寄り添っている時の率直な思いを伝えることが、相手を癒していました。

 

けれども、相手の気持ちは日常の中で日々変化し、揺れ動き、新しいアイデンティティを書き加えていきます。心の変化の早さに、他人はついていくことが難しい。まるで、掌を返したかのように、私のことを攻撃しさえする。けれども、一度安心感を覚えた私は、その感覚を取り戻したくて、また一緒に仕事をしたくて、歩み寄ろうとしてしまう。無視されたり、拒絶されても、私は近づこうとしてしまう。一度信じてしまった心を簡単に変えることなど、私には出来なかった。

 

こうして私は、傷つきながらも、信じて待っていた。

 

結局、終わりはあっけなかった。苦しい時間を長く過ごし、それに耐えられなかった私は、放棄することを決めた。最後は、寄り添う気持ちはなくなり、苦しみや憎悪しかなかったのだ。今でも許すことなど出来ないけれど、私の人生は、相手のおかげで豊かになった。何も知らなかった私に、考えるきっかけを与えてくれて、様々な知識を吸収し、心を前に向ける大切さを学ばせてもらった。

 

私はまだまだ知らないことが多すぎる。その人、その人との経験を大切に、これからも成長していく。

大丈夫。私の心がそう決めているんです。

私の経験から生まれた言葉で、あなたの心を軽くしたい。

 

いつも不安や恐怖が、突然やってくる?

 

外側の世界で起きたことを私の内側(心)が、そう判断しているだけです。

 

大丈夫。私が決めているだけです。

 

 

過敏だった私は、小さな変化も苦手でした。相手から言われた些細な言葉。「今日はちょっと調子が悪いんです」という言葉にさえ、その理由を探り、原因に私が絡んでいるのではないかということを確かめたくなっていました。

 

これが完全にダメという訳ではありません。相手の話を親身になって聞こうとしているので、好感を持って頂くこともありあました。一生懸命さは相手に伝わるもので、満足されている印象もあるくらいでした。

 

ただ、親身になる目的は相手の体を心配しているだけではなく、私に原因がないかを探りたいので、どうしても質問責めにしてしまいます。中には、聞かれてばかりで嫌な気持ちにさせてしまうこともありました。

 

こんな状況では、突然不安や恐怖心を抱いてしまうので、冷静な判断が行えなくなっていました。いつも自分のことを考えてしまうので、相手の状態を把握し、考えて治療を展開することが難しくなっていました。

状況を打破ずべく、まずは私自身が不安な気持ちに陥りやすいというメタ認知を働かせることから始めました。すると、体の反応も結構あり、言葉にどもりがあったり、早口になっていたり、体をクネクネ動かしていたりしていたことに気が付きました。

これにより不安の抱えているタイミングを少しでも把握することができました。

 

ただ、不安や恐怖を認知することが出来たからと言って、抑えることは簡単ではありません。脳の機能では、不安や恐怖を感じることに深く関わる偏桃体の機能に異常をきたしている状態ですし、人の自由意思は存在しないので、その場の意志の力だけではどうにもなりません。

 

でも、自分が不安や恐怖を感じていることを認知できるようになったら、それは私がそう判断しているだけだということに気が付きました。

 

私の心がそう決めているのだ。と気づけたことは大きかったです。

 

このブログで書いている内容は、私が気づいた言葉をすぐにノートに記した言葉です。

外側の世界で起きたことを私の内側(心)が、そう判断しているだけです。

 

大丈夫。私が決めているだけです。

 

この言葉を日頃から繰り返すことで、私の不安や恐怖心を少しづつ解きほぐしていったように思います。

憂鬱な時に読む本も何冊かは読みましたが、私の中から出てきた言葉は、私には一番響く言葉だったと思います。