cirrus’s writing a note

私が書き溜めたノート。言葉の力で、あなたの心を軽くしたい

人生を気楽に生きる

人生はほとんど無駄なことなのだ。

その無駄を楽しむために、今を生きている。本当に大切なことは、その中の1%くらいで、それに気がつくことは難しい。聞いたことがあるのは、人生の意味は後半で分かるという。だから、一つ一つを楽しみながら生きていきたい。しんどくなったら辞めれば良い。気になってるなら、やったらいい。そーやって、人生を歩んだら、とっても気楽だ。

新しいことへ情熱を傾ける

経験から生まれた言葉で、あなたの心を軽くしたい。

自分の意志で生きることを大切にする。

 

自分のために時間を使い、更に人のために時間を使うことで

 

人生は豊かになる。

 

依頼は快く受け入れられるのか

やりたいことをやっている時は、幸せな時間を過ごすことができる

だけど、人生はそれだけでは生きていけない。

人から依頼された時間を過ごすときがある。

その依頼を断ることで、時間を奪われないことも可能なのだが、

そればかりでは、集団で生きてきた人間(ホモサピエンス)にとって、生きにくくなってしまう。

人から依頼される時間を、幸せな時間に変えていくにはどうすればいいのか。

 

状況を例えるなら

 仕事に慣れ、やりがいを持ってできている。自分のスキルも上がってきて満足に遂行できているし、周囲ともコミュニケーションを図れて、充実した日々を過ごしている。

そんな時に、新たな仕事を依頼される。新しく立ち上げる部門のリーダーとして、今の仕事と掛け持って欲しいと。より大きな責任と、新しい部門への情熱が必要になる。

 

新しい部門に興味はあった。ただ、スキルが伴っている訳ではないし、リーダーというプレッシャーもある。

 

知識のある方達の考え方

ユヴァル・ノア・ハラリは21lessonで「優れた物語は、私に役割を与えなければならないし、私の視野の外まで延びていかなければならないものの、真実である必要はない。物語は純粋な虚構でありながら、それでも私にアイデンティティを提供し、自分の人生には意味があると感じさせてくれることが出来る。」

落合陽一はweekly ochiaiで「仕事もコミュニケーションも僕の中ではすべてゲーム」

ティーブン・R・コーヴィーは7つの習慣で「シナジーを生み出すために内面がしっかり安定し、心を開いて物事を受け入れ、冒険に心躍らせる必要がある」としている。

 

人生と置き換える

与えられた仕事は優れた物語の一部であると思えば、私に新たなアイデンティティを与えてくれるし、人生に意味があると感じられる。さらに虚構であり、ゲームなのだと思えば、捉え方は軽くなりゲームに勝とうという意欲も湧いてくる。 私が成長できるかは、内面を安定させることと、それでも心を開いて物事を受け入れ、冒険に心躍らせることが必要なのだろう。

 

目の前に起きたことを肯定的に捉えて、前向きに人生を歩んでいきたい。

逆境からの復活。目の前のことに全力を尽くす

私の経験から生まれた言葉で、あなたの心を軽くしたい。

 

今、目の前のことに全力で取り組めたら

 

明日は変えられる。

 

大きなストレスを抱えてしまう

私は、人間関係の悪化や不慣れな仕事に、ストレスを感じていた。おそらく、人間関係が悪くなってしまっている環境で、不慣れな仕事を行っていた為に、悪循環のようにストレスが大きくなっていたのだと思う。いつまでこのストレスが続くのかという、先の見えない不安もあった。

 

頭の中はストレスでいっぱい

当然だが、時間は平等に24時間与えられている。

寝ている時間は8時間くらいで、あと16時間は昼間の活動時間になる。

仕事に行っている時間は8:30~18:00として9時間30分は仕事場にいる。

ということは、残りの6時間30分はストレスのない時間のはずなのだ。でも、こんなにたくさんの時間、何をして過ごしているのだろう。

食事をして、風呂に入って、車を運転して、家族との時間があって、家事をして、趣味をしている。

日常の中でたくさんのことが、目の前で起きているのに、ストレスでいっぱいの私の頭は仕事場での辛い思いを引きずり、目の前で起きている事に感情が動かずに、ただ流れていた。

 

解決策は、目の前のことに全力を尽くすこと

私が悪循環を断つことが出来た方法、それは目の前に起きていることに全力を尽くすことだった。

例えば、家族との時間では、子供がおもちゃで遊んでいて、私はごっこ遊びの相手をしている。子供のごっこ遊びは自由な展開ばかりだ。お姫様かと思えば、突然犬になっている。その展開に私はついていけていけず、私が楽しむことも、子供を楽しませることも出来ず、お互いが飽きてしまう。もし、私が王子様や猫になっていて、一緒に遊んでいたら、きっと二人が楽しめて、幸せな時間になる。

他にも、食後の食器洗いでは、疲れている私は、ほとんど出来ない。妻に任せてぼーっとテレビを見ていた。食器を洗うということは、視覚的にキレイになり、水の流れる音は心を癒し、単純作業だが皿を洗っている作業は、頭を整理する効果がある。自ら洗い物をしていれば、家事の手伝いにもなるので妻を助けることもできる。一石二鳥の効果を見過ごしていたのだ。

 

目の前のことに全力を尽くすことは根拠があった

多くの心理学の著書で「マインドフルネス」という言葉を聞く。今、ここで起きていることに目を向けると、心を癒す効果がある。

脳科学においても、人間の注意力はたくさんの物事(マルチタスク)を同時に処理することが苦手だ。今、ここに注意を向けさえすれば、辛い記憶を思い出す隙を与えることはない。

著書「ファクトフルネス」より、人間の本能には、ネガティブ本能、恐怖本能など、真実ではないことを思い込んでしまう本能が存在する。何も意識に上らない(考えない)ことは難しいので、悪いことを想像しやすい。

 

自分が変われて周囲も変わった

私は今、目の前のことに全力で取り組めたら明日は変えられる。という言葉をノートに書き留め、実践した。

子どもと遊んでいて、素直な気持ちで関わりをもち、自然と笑顔になれた。

洗い物をしていると、心が癒されて、趣味の一つになった。

こうなると、私は辛い思いから解放され始めた。私は家にいる時間を楽しむことが出来るようになってきた。それは、周囲も変えていた。家族は私を必要としてくれて、私の存在意義を強めてくれるようになった。人には承認欲求があり、認め(必要)られることに幸せを感じる。

自分の意識を目の前のことに向けることで、状況を大きく変えることが出来た。

人の心は誰にも分からない。

私の経験から生まれた言葉で、あなたの心を軽くしたい。

 

心理学の研究者でも、人の全ては分からない。

 

他人の心は計りきれない。あなたが感じたことは、あなたにしか分からない。

 

だから、皆同じやり方は当てはまらない。

 

 

人の心は常に揺れ動き、変化していきます。相手の気持ちを汲み取ろうと、寄り添って、努力することは出来ます。その時、相手と通じ合った瞬間は、お互い言葉に深く共感し合っているコミュニケーションが行えます。あたかも、自分がその体験をしているかのように辛い気持ちになり、胸が苦しくさえなるのです。私は相手にアドバイスをしたくなります。相手にとってより良い人生を送ってほしいから。寄り添っている時の率直な思いを伝えることが、相手を癒していました。

 

けれども、相手の気持ちは日常の中で日々変化し、揺れ動き、新しいアイデンティティを書き加えていきます。心の変化の早さに、他人はついていくことが難しい。まるで、掌を返したかのように、私のことを攻撃しさえする。けれども、一度安心感を覚えた私は、その感覚を取り戻したくて、また一緒に仕事をしたくて、歩み寄ろうとしてしまう。無視されたり、拒絶されても、私は近づこうとしてしまう。一度信じてしまった心を簡単に変えることなど、私には出来なかった。

 

こうして私は、傷つきながらも、信じて待っていた。

 

結局、終わりはあっけなかった。苦しい時間を長く過ごし、それに耐えられなかった私は、放棄することを決めた。最後は、寄り添う気持ちはなくなり、苦しみや憎悪しかなかったのだ。今でも許すことなど出来ないけれど、私の人生は、相手のおかげで豊かになった。何も知らなかった私に、考えるきっかけを与えてくれて、様々な知識を吸収し、心を前に向ける大切さを学ばせてもらった。

 

私はまだまだ知らないことが多すぎる。その人、その人との経験を大切に、これからも成長していく。

大丈夫。私の心がそう決めているんです。

私の経験から生まれた言葉で、あなたの心を軽くしたい。

 

いつも不安や恐怖が、突然やってくる?

 

外側の世界で起きたことを私の内側(心)が、そう判断しているだけです。

 

大丈夫。私が決めているだけです。

 

 

過敏だった私は、小さな変化も苦手でした。相手から言われた些細な言葉。「今日はちょっと調子が悪いんです」という言葉にさえ、その理由を探り、原因に私が絡んでいるのではないかということを確かめたくなっていました。

 

これが完全にダメという訳ではありません。相手の話を親身になって聞こうとしているので、好感を持って頂くこともありあました。一生懸命さは相手に伝わるもので、満足されている印象もあるくらいでした。

 

ただ、親身になる目的は相手の体を心配しているだけではなく、私に原因がないかを探りたいので、どうしても質問責めにしてしまいます。中には、聞かれてばかりで嫌な気持ちにさせてしまうこともありました。

 

こんな状況では、突然不安や恐怖心を抱いてしまうので、冷静な判断が行えなくなっていました。いつも自分のことを考えてしまうので、相手の状態を把握し、考えて治療を展開することが難しくなっていました。

状況を打破ずべく、まずは私自身が不安な気持ちに陥りやすいというメタ認知を働かせることから始めました。すると、体の反応も結構あり、言葉にどもりがあったり、早口になっていたり、体をクネクネ動かしていたりしていたことに気が付きました。

これにより不安の抱えているタイミングを少しでも把握することができました。

 

ただ、不安や恐怖を認知することが出来たからと言って、抑えることは簡単ではありません。脳の機能では、不安や恐怖を感じることに深く関わる偏桃体の機能に異常をきたしている状態ですし、人の自由意思は存在しないので、その場の意志の力だけではどうにもなりません。

 

でも、自分が不安や恐怖を感じていることを認知できるようになったら、それは私がそう判断しているだけだということに気が付きました。

 

私の心がそう決めているのだ。と気づけたことは大きかったです。

 

このブログで書いている内容は、私が気づいた言葉をすぐにノートに記した言葉です。

外側の世界で起きたことを私の内側(心)が、そう判断しているだけです。

 

大丈夫。私が決めているだけです。

 

この言葉を日頃から繰り返すことで、私の不安や恐怖心を少しづつ解きほぐしていったように思います。

憂鬱な時に読む本も何冊かは読みましたが、私の中から出てきた言葉は、私には一番響く言葉だったと思います。

あの時よりはマシです

私の経験から生まれた言葉で、あなたの心を軽くしたい。

 

ちょっとしたことなのに、すぐ不安を感じてしまう。

 

きっと大したことじゃないんだ。

 

今の不安な気持ちは、考えすぎってことだね。

 

もう怖いと考えてしまう山はたくさん越えてきた。

 

怖い物なんて何もないだろ。

 

 

ちょっと誰かの視線が冷たく感じるときや、無言で通り過ぎられた時など。はたから見れば、なんでもないことなのに、私はネガティブに捉えすぎていた。だから、いつも緊張していた。脳では、不安や恐怖を感じる中枢の偏桃体が興奮していた。この興奮が非常に高まりやすい状態なので、脳はオーバーヒートしてしまう。脳は一つのことをずっと考え続けてしまうと良く働かない。だから、一刻も早く緊張を解きたかった。

 

そんな時私は、今の苦労よりも更に苦労だった過去のことを思い出した。今の苦労よりも大きいというのがポイントだ。過去の苦労というのは、思い出そうとすると、より度合いを増して苦労だったと感じられるので、探さなくても頭に浮かんできやすい。そして、その苦労を今の苦労と比較して、今の方がマシに感じられるようにした。

 

本当に辛い山は、もう越えてきたのだと思えると楽になった。あれ以上の苦労ではないと思えると、緊張が少し解けた。あくまで、一時的な効果だとしても、現状を改善することが出来た。緊張しやすい状況に変わりはなかったけれど、自分の心に問いかけて、あの時よりはマシと言い続けていた。

 

自己啓発の本などでも、思い描くビジョンに最悪な想定をして、対処の仕方を考えておくと、おもいきりのよい行動がとれるのだという。私の場合も、より辛かった時のことを思い出して、前を向いていた。

そしていつしか、怖い物なんて何もないんだ。と自分の背中を強く押そうとまで立ち直ってきた。緊張しやすい状況に変わりはなく、いつも緊張していたかもしれないが、その中でも私は気持ちを強く持ち、挑む姿勢を作ることができた。

有り難う(ありがとう)

私の経験から生まれた言葉で、あなたの心を軽くしたい。

 

 

苦難、困難、災難。辛いことには全て「難」がつく。

 

でも、難が無くても、無難。何もないのに「難」がつく。

 

そして、ありがとうは、有り難う。「難」がつくじゃないか。

 

一説によれば、ありがとうは、めったにないこと。という意味がある。

 

困難、苦難、災難はめったにないことなので、ありがとうだ。

 

ポジティブな発想をしよう。見方を変えるんだ。

 

 

言葉の力は偉大です。辛い感情もうまく言語化できると楽になれます。そして言語化できた内容を、前頭葉を使って理論化して、うまく意味付けを行っていければ、辛い感情をもっと楽にできます。言うなれば、ネガティブな感情を言語の力でポジティブに変換してしまうことが出来るということです。

 

「苦難」ばかりだと嘆いていた時に、ありがとう、は「有り難う」なのだと知る機会がありました。この言葉を知っただけなのに、心は軽くなった気がしました。一説ではめったにないこと、非常に希なことに感謝するという意味があるそうですが、本当の所は分かりません。でも、それで良いのです。私の解釈として、「苦難」「困難」「災難」は「有り難う」と同じ意味なのだと思い込んだことで、私の心は軽くなりました。

 

虚構だらけの世の中で核心を知る為に、努力し前進していくことはとても大切なことだと思います。でも、虚構かもしれませんが、自分の心に響いた言葉は、十分に価値がある虚構だと思います。私を救ってくれた虚構なのです。それが、優しいウソなのかもしれません。真実を求めながら虚構とも両立しながら生きている。人生に決まりきった生き方がないのと同じ、複雑に出来ているのだと思います。