cirrus’s writing a note

私が書き溜めたノート。言葉の力で、あなたの心を軽くしたい

深い自分に出会う

私の経験から生まれた言葉で、あなたの心を軽くしたい。

 

私の枠を自由に壊すことができる。

 

とんでもない、どん底を乗り越えられた。これから起こることも乗り越えて行ける。

 

枠に収まろうとするなら、自由じゃない。

 

公務員じゃなくても、将来の安定がなくても大丈夫。

 

 

 

 

公務員試験を受けたことがあるんですが、落ちてしまいました。

すでにネガティブだった私は、更にショックを受けました。でも立ち直りは早かったです。

自分の中から浮かんでくるポジティブな言葉は、いつも私を前に進めてくれました。

自分の言葉なのに他人が言ってきたみたいな表現なんですが、突然ふと浮かぶ言葉は、心の奥にいる自分に出会って、自分の方向を示してくれるような存在だからなのです。

 

今までも資格という枠にハマって苦しんできました。その枠は、これまで社会の中で生きてきて、それに従って生きなさいと教えられたルールでした。社会を安定させるためにルールは必要です。しかし、その枠が自由を奪ってしまうことも存在します。では、自由になんでもしてもよいのかというと、そうではありません。常識や倫理観も、今まで教えられてきたルールの範囲で決まっているからだと思います。

 

結局、過去どのような影響を受けて生きてきたのかによって、私の行動は決まってしまうんですが、今ハマっているルールは、ハマってて良い物なのか、抜け出して良い物なのかを判断する必要はあります。その答えは、自分の深い中にいる心の声なのだと思います。社会が決めたルールの中ではないと、生きにくい。社会の中から飛び出すのは本当に難しいことです。でも、私やあなたが本当にやりたいことってなんでしょう。本当に大切にしたいものの為に、生きていたいと思います。

 

例え試験に落ちてしまって、更なるどん底に落ちたとしても、人生はまだまだ終わらなかった。深い私に出会うことが出来て、枠にハマろうとしなくて大丈夫なのだと教えてもらえたのです。

”今”に全力で挑め

私の経験から生まれた言葉で、あなたの心を軽くしたい。

 

自信があれば成功するなら

 

自信を持とう。

 

""に全力で挑め。

 

目標だけを目指していこう。

 

 

 

ネガティブな感情が大きい時は、自信がありません。それは、言動に表れてしまいます。利用される方の前で話をしてても、全体的に声は小さく特に語尾はかすれてしまいます。表情は暗く、相手の目しっかり見ながら話すことは出来ず、どこか違う方を見ようとしてしまいます。集中していられないので、早く話を切り上げたくなってしまうことも、しばしありました。

一方で、同じ仕事をしている人は、言葉を強めて力説しています。話していることは、そんなに大差はないと私は心の中で思っているのですが、利用される方が何度もリピートされおり、業績数字にも反映されていました。

ずっと、私の業績数字は振るわないままで変化のない時が何年か続いていました。

きっと私には自信がないからなんだ。そう自分に言い聞かせながらも、仕事に向かい、なんとか自信をつけたい。と思っていました。こんな風に自信が必要なのだと気づいてからは、ネガティブな感情の中にも頑張ることが出来てきました。しかし、それは安定して続くわけではありません。ずっと頑張るということは疲れてしまうからです。朝気合を入れて仕事に向かい、そのテンションで仕事に入ることは出来ますが、少しストレスがかかってしまうと、ネガティブな感情に押さえつけられてしまいます。利用される方からしたら、初めて会ったときはハキハキしゃべってたのに、なんだか不安そうにしているな。なんて思われていたのかもしれませんが。要するに、頑張りにはムラが起きてしまい、今一つ波には乗れていないような感じでした。

 

自信がないのに、自信があるように見せようとしても結局上辺を見せているだけです。もっと根本的な所を変えないといけないのだと思いました。

 

ある時、家で茶碗を洗っていたのですが、その時とても癒された感覚があったのです。汚れていた物が綺麗になっていく見た目や、洗うという短銃作業の繰り返しに、頭の中でネガティブな思考が入らなかったのかもしれません。今その作業に集中していられることは、癒されているのだと思ったのです。そして今に集中することは、仕事中においても必要だろうと結びつけました。

 

利用される方に、私の出来ることを全力でやりきる。

 

ただそれだけを、がむしゃらにやり続けました。出来ないことまで出来るなんて大口を叩くことはしません。私の出来る限りのことをやらせて頂きますと、素直に伝えました。あとは、その時に全力を注ぐだけです。

目標は、今日一日を頑張れるか。目標と言って良いのかわかりませんが、当時の私は大きな夢を見るほど余裕はなかったので、毎日毎日ただひたすらに全力で今に集中することでした。

そんなことを続けていると、思いのほか利用された方の体が治っていたり、感謝されたりしてきました。恥ずかしいような気持ちでしたが、それが何度か積み重なった時、いつからなのか気が付かなかったけれど、私は自信をもっていました。

毎日を全力で挑むエネルギーが、私に自信を与えてくれたのかもしれません。

資格の壁を越えて、自由を手に入れる

私の経験から生まれた言葉で、あなたの心を軽くしたい。 

 
 
人は変になることを嫌がる。普通になろうとする。

 

だけど、そのままで良いと肯定する。
 

 

どんな自分とも共存共生する。

 

 

私は作業療法士という資格を持っていますが、この資格を持って整形外科のクリニックで仕事をしている人はほとんどいません。県内の所属が記された名簿を見ましたが、私を含めて2人でした。

なぜかというと、整形外科クリニックに来る方は、骨折や捻挫などの外傷。ご高齢なお体からくる変性。スポーツで繰り返される過剰な運動による痛みなどの方々が対象となります。これらを得意としているのは理学療法士さんだからです。

理学療法士の方々の会誌や文献を閲覧しても、それらのことを研究し、原因の究明や、症例の発表がかなりの量を占めています。理学療法士を目指された方は、この為に資格を取ったという方も多くいて、この資格のアイデンティティをもっています。

 

そんな理学療法士のフィールドに立った作業療法士の私は、とにかく資格という偏見に悩まされました。

 

利用される方からしたら、作業療法士より理学療法士にみてもらいたいと思うでしょう。社会的にも理学療法士の方が名前が通っているので、安心感が違います。理学療法士の方が偉いんでしょ。くらいに言われてしまうことも珍しくありません。

利用者さんのように医療に詳しくない人が言うなら、説明の余地もあるし、教えてあげようと思えますが、衝撃なのは、雇い主の医師が理学療法士でも作業療法士でもどっちでもいいんだよ。と言ってしまうことです。これは本当に衝撃です。それなら、なぜ作業療法士を雇ったんだ。最初から理学療法士だけ募集すればよいのに、医師の無知の為に私はどれだけ苦しんだことか。

それを横目で見ている理学療法士は完璧に私を見下しています。隣で私の臨床を見てはため息と舌打ちです。理学療法士の技術をみて、ただ真似っぽいことしてるだけだろ。と暴言吐く次第。それが悔しくて、どれだけ勉強してロジックを理解し、全力で実践をしたとしても、資格という大きな壁により、誰にも認められない日々が続いていました。

あの時の自分は資格の壁を感じつつも、認められたくて必死でした。生きる基準を相手に設定して、相手の望まれる自分になろうと思っていたのです。

資格という偏見に悩まされながらも、もともと同じ人間なのに、どうして資格で分けられて、資格があるからそれが出来るみたいになったのだろうと思いました。資格があれば出来るの?資格がないから出来ないの?いや違うでしょ。同じ人間なんだから、出来る出来ないは自分次第だろうと。

 

資格に偏見を一番持っていたのは自分だってことに気づきました。

そして、自分の基準を周りに置いていては、ずっと辛いなと思いました。

 

資格の枠を超えて、私は平気で理学療法士の領域に足を踏み込み続けました。だって、それが今必要な知識で、利用される方の為になるからです。

今では、理学療法士と本気で討論をしています。あんなに必死で勉強したのですから、そこら辺の理学療法士には勝ってしまいます。そうすると、今度は理学療法士がムキになってきます。だって、アイデンティティをもっているのに、作業療法士に領土に踏み込まれて良い気分はしないでしょう。でも私は資格の領域を一度超えました。自分を縛っていた紐を解いてしまった感じです。もう、相手の目を気にすることも、自分が何であるかも関係がないのです。私は私の思うように生きてよいと自分を肯定しました。

 

今、様々なアイデンティティと共存しています。その時その時で、自分にとって丁度よいアイデンティティを引き出しながら仕事をしています。

時々悩むこともありますが、その悩みが新たなアイデンティティを生み出すのだと肯定して、そんな自分を受け入れるようにしています。

不調な時に冷静になる

私の経験から生まれた言葉で、あなたの心を軽くしたい

 

 

好調な時は、何してもうまくいく。

 

不調の時に、落ち着いて、今何に全力を尽くすべきかを考える時だ。

 

 

 

好調な時は、気持ちは前を向いているし、言動に恐れがないから、迷いがなくて勢いがある。良いことだらけに感じるが、自分を振り返ろうとしないので、足元がすくわれるミスをおかしがちだ。

不調な時は敏感になるので、ミスをしないように準備をする。もし~ならという想定を作るので、結果に対して案外柔軟に対応していることがある。そんな時は、脳はフル回転している。前頭葉が活性化して、様々な計画を練ってる。偏桃体から起こる恐れの感情を、前頭葉が記憶という倉庫から最適な情報を引っ張ってこようと探し出し、最適な行動を起こすために統合を図ってくれるのだ。そして、今やるべき行動に全力を尽くす。不調な時でも、私たちは絶えず成長している。

好調な時はもちろん気持ちいい。不調の時だって次の好調の為に準備をしている。

発想を変えれば、クリエイティブになれる

私の経験から生まれた言葉で、あなたの心を軽くしたい。

 

 

今辛いのは、次の成功の糧となる。

 

どんな困難であっても芯を持っていよう。

 

必ずチャンスは巡ってくる。

 

大切な人を守るために、俺は自分の足で立ち続けるんだ。

 

自分を信じよう。

 

 

 

毎日辛い辛いと嘆いていても、やっぱり辛い。今この時間損をしているなと感じてきた。私の損ばかりか、一緒にいる人まで暗い気持ちにさせているんじゃないかと気が付いて、少し考える視点を変えてみました。

辛いことが多いけれど、今私の頭の中では、これまでにないくらい、解決策を模索している。自分の足で立とうと必死になっている。今、ものすごく成長しようとしているんじゃないかと考えた。そうしたら、こうして浮かんだ言葉も全て書き残して、今後の生きる糧になるんじゃないかと思った。誰かから教えられたのではなく、私の中から生み出せた、私なりの方法なのだと。それは、とてもクリエイティブな発想をしているんだと前向きにとらえるまでに至りました。

この発想を、誰かに伝えて前を向く手伝いが出来るようになるため。そんな思いでこのブログも書き綴っています。