cirrus’s writing a note

私が書き溜めたノート。言葉の力で、あなたの心を軽くしたい

幸せか不幸かは自分が決める。

幸せか不幸かは自分が決める。
 
 
自分から不幸になろうとしている時がある。周囲の目を気にしてブレーキをかけてしまってる時だ。
 
自分の決断を生きているのだから、不幸なことがあっても仕方ないと思う。それでも自分が決めたのだからと腹をわろう。
誰かや役割のせいにしない、自分の答えだと思えることが重要だ。
 
自分の人生を歩んでいると思うことが出来たら、また前を向けるようになるだろう。
 
 
人にブレーキをかけられて、ビクビク怯えながら生きていたら、その時間はとても苦しい。
 
人に気に入られようと生きている時は、私は私にウソをつく。
 
もし、自分の意思をなくしてしまったら、人生はつまらない。
だけれど、時には人と共有している時間を楽しめる。
 
要は、人に合わせながらも、自分の思ったことを主張しているくらいが丁度よい。
 
 
私の思ったことを発信することは、全然よい。
私としてのプレゼンテーションをする。
私の思った行動をとる。
「いま」「ここ」に全力を出すことを大切にする。

苦しみを、楽しみや成長に変える

私の経験から生まれた言葉で、あなたの心を軽くしたい。

 

自分の意思で決めたことなら

・厳しい環境に自分の身を置くこと。

・あえて、リスクのあることに挑戦すること。

・厳しい環境に身をおくことにはリスクがある。心を折らずに乗り越えていく

 

 

課題と向き合う

厳しい環境はストレスがかかる。ストレスは辛い気持ちを与える。人間はより快適な方へ押し出されてくるので、ストレスを感じられないように、「逃避」したり、「克服」したり、様々な手段でストレスを回避しようとする。

 

ここでは、後者の「克服」するプロセスを考よう。

 

克服する為に私たちは、心の中で熱意を燃やす。この入り口が「逃避」と異なる点だ。熱意は「克服」する上で、ベースとなる。

 

そして、自分はこの課題を解決するという信念を持つ。信念は自分の意思に疑いのない素直さが必要で、純粋に課題へ取り組むことで課題に対するストレスを軽減させ、その行為自体を楽しみに変えることができる。

 

課題を楽しむということは、熱中に繋がる。私たちはゲームというコンテンツを通じて体験しやすい。時間の感覚や、自らの感覚をも忘れる。

 

これを反復することで、習慣へと変わっていく。自らの意思は、作業を通じてコントロールすることが出来る。ランニングをすること、読書をすること。一つ一つの作業が私たちの意思に影響している。もはや、習慣が途切れてしまうことにストレスすら感じるようになってしまう。

 

そうなると、辛くストレスを感じていた作業が、その作業をやめてしまうことがストレスとなり、作業を続けていくことが出来る。

 

途中で心が折れて止めることは仕方のないことだけれど、もし、あともう少し頑張れるのならば、いつかその作業があなた自身になっていくはずです。

 

著名人の言葉を借りる

ニーチェ

「あなたを殺さない試練があなたを強くする」要するに、死ぬほどつらい経験が人を成長させるという意味だ。

 

ヴィクトール・D・フランクル

「苦しみは、人がそこに意味を見出した途端、苦しみであることを止める」

 

スコット・バリー・カウフマン

「クリエイティブ思考を向上させたいなら―リスクを恐れずに、失敗に備えることだ」

深い深い自分の意思に触れる

私の経験から生まれた言葉で、あなたの心を軽くしたい。

 

深い深い自分の意思に触れよう。

 

周りに惑わされていた心は、本当の自分に出会って心を落ち着かせることが出来る。

 

 

私たちは他人から影響を受けながら生きている。

ティーブン・R・コヴィーは、7つの習慣で「ほとんどの人は、自分の周りの人たちの意見や物の見方、パラダイムに脚本付けされている。」

つまり、私たちは自分だけの自由な意思で生きているという訳ではない。他人から見られた人物に私たちは無意識に寄ってしまっている。人間はホモ・サピエンスの時に、生き残る術として、虚構を信じて集団を形成することだった。私たちが一人で強く生きていくことは難しいということだ。

 

だからといって、人と常に一緒に生きて行くことが良いのかと言われると、そんなことはない。絶えず集団の中にいると、絶えずコミュニケーションを図り、常にどこかへ注意が向いている状態になる。心理学者のM・チクセントミハイは、「人間の注意力は110ビットといわれ、一人の人と会話をするのに60ビット使用する。」という。常に集団の中にいる状態ではキャパオーバーとなってしまうのだ。

 

 ディフォルト・モード・ネットワークを働かせる

そんな時に、エネルギーを回復させてくれるのは、何もしない時間だ。脳科学者の茂木健一郎は「ディフォルトモードネットワーク」を提唱。無目的でぼーっとしているような状態の時に、脳の中では情報が整理され、乱れた心も整ってくる。

 

おもしろいと思える気持ち

あとは、特に考える必要もない。やりたいという作業をただひたすらに行うだけだ。

そんな時は時間の経過は早く、フロー状態に入れる。フロー状態は、自分の存在を感じないほど没頭する時。課題の難易度と熟練度が高い作業で到達しやすい。

もともと好きでやっていて、没頭できる作業なのだ。

 

自分の素直な気持ちを聞くことが出来た時

自分の意思で、人生を歩めることで、充実感が得られる。 

自分の中からの答えは、いつまでも自分の心に響いてくれる。私の書き綴ったノートは、眺めるとはっとさせてくれる。忘れそうな時、原点や本心に帰ってこれるものだ。

そこに触れると、心が安らぐ感覚がある。

誰かが言った言葉ではなく、自分の中から生まれた気持ち、言葉を大切にしていく。

人前での振る舞い方は、上手に生きていく大切な術

私の経験から生まれた言葉で、あなたの心を軽くしたい。

 

~人前での振る舞い~

・他人は敬愛し、軽蔑しない。 

・自分は誇張せず、謙虚に務める。

・感情なら素直に伝えよう。

・思考は言い方を考慮して主張しよう。

・内心では自己愛や自信を持つことが何より大切である。

 

 

他者との交流を絶って生きていこうとすることは難しかった。

人とコミュニケーションを図っている時、感情は常に揺れ動く。ささいな感謝の言葉で嬉しくなり、批判的なことを言われると傷ついてしまう。だから、話す相手に応じて7聞く姿勢を変化させている。家族と上司への態度はみんな違うはずだ。私が傷つかないようにだったり、良心的な印象を与えられるように。

 

私たちが集団を形成して協力するのは、しつけや教育ではない。生まれながらにして、他人と協力して生きていく術をもっている。どんなに一人でいる時間を欲していたとしても、ずっと一人で生きていくことは難しい。

 

だからといって、他者と一緒にいる時間がずっと幸せという訳ではない。私たちが会話をする時、共通の話題だとしても、相手の認知と私の認知にはズレが生じている。当然のことだが、私と相手は違う人間で、共感出来ていたとしても、同じ経験をしている訳ではないのだ。

 

私は言葉を理解してもらうより、私の心の在り方を考えて、相手に与える印象を少しでも良くできた方が、お互いが気持ちよくコミュニケーションをとっていけると考えた。そこで思いついたことを書きだしたのが、人前での振る舞いです。

 

人前での振る舞い

私が出来るだけ自然体でいられるようにし、相手にも不快な思いをさせないよう出来るように考えた。相互の円滑なコミュニケーションは、生産的な発想を得ることもあるし、人との繋がりを強固にすることも出来る。切ることの出来ない相手との関りにおいて、せっかくなら楽しみながら交流していきたい。

乗り越えられる壁だからこそ、全力で挑みたい

私が書き綴ったノート。言葉の力であなたの心を軽くしたい。

 

人生は乗り越える壁ばかりだ。

 

それならば、乗り越え続けよう。

 

今は腕を磨こう。自信を持って人を治せるようになろう。

 

 

 作業療法士の専門性

医師免許を持っている先生方の中で内科医や外科医があるように、医師は様々な専門があります。

私たち作業療法士の中にも、認知症精神疾患発達障害、手の外科などの専門分野があります。それぞれの専門性の領域で、仕事として必要とされ生かす場があることは、とても幸せだと思います。

私の場合は、手の外科領域に進んでいます。多少は部位の解釈の違いはありますが、肘から指までになります。今の仕事量の全体の中でも、1割にも満たないマイノリティな所です。

この領域だけで、ご飯を食べていくのは正直一摘みの人たちでしょう。そこには、手の外科の専門性を掲げている病院になります。全国的にも少なく、私の在住している県にはありません。

 0(ゼロ)からの出発

ただし、幸運なことに、私の勤めている病院には専門の医師がいます。

ですが、私が着任したときには、リハビリテーションへの信用はなく、依頼をされないという状態でした。

 

まず私はその医師に顔みしりになって頂くところからでした。

 

たまたま重症な方の依頼が舞い込んできました。医師に関わりをもとうと、経過を話し、方針を聞いて全力でぶつかっていきました。その方にも、経過に応じた方法を分かりやすく丁寧に説明することを心がけ、治療に努めていきました。

 

巡ってきたチャンス

ある時、医師から、近隣の医師が集まるカンファレンスへ来てみないかと、ご招待を頂きました。素直にうれしかったです。

ですが、医師が開くカンファレンスでの展開についていくことが難しく、頭をフル回転しているのにそのほとんどを理解しないまま課題山積で帰宅しました。自分が知らないことの多さに、今までの自分が恥ずかしいとさえ思いました。

 

出席をして話を聞いているだけなら、講義を聞いている感覚なので、すぐに慣れてきたけれど、ついに発表者側に立たないかという依頼が舞い込んできました。それも開催2週間前に…。

 

私は全力を注いできた、重症な方しか頭に浮かばず、急いでデータをすべて洗いました。

 

そして迎えた発表当日、緊張のあまり朝から食欲はなく、一日中頭の中でデモンストレーションを繰り返していました。

 

カンファレンスの場では、挙手制で発表を行います。他の医師たちが発表を終える中、手を挙げる時を待っては、譲りを繰り返し、タイミングをうかがっていました。

 

もう誰もいませんかというタイミングで、ようやく私は手を挙げることが出来ました。口はカラカラに乾き、すでに伸びてしまったカンファレンス終了の時刻に周囲からのプレッシャーをもろに受けながら、始まりました。

 

たくさんデモンストレーションを行ってきたはずなのに、予想をはるかに超えた早口と、活舌の悪さで進んでいきました。言いたかったことの半分も伝わっていないんじゃないかと思うまま、その日のカンファレンスは終わりました。

 

あまりの不完全燃焼に、今まで聞いたことのないような、慰めのような赦しを与えてもらえるような音楽を聴いていました。

 

 -(マイナス)からの再出発

数日すれば、私も気にしなくなり、いつものようにカンファレンスの時期がやってきました。

前回の失敗を忘れた訳ではありません。私は次のカンファレンスでもう一度、夢のような舞台で挑戦したいと思い準備をしてきました。

 

そして発表当日、今度は完全に私のタイミングで挙手をして、落ち着いて伝えることがきでました。その後の質疑応答にも冷静に答えつつも、ありがたいアドバイスを頂くこともできました。周辺の医師から暖かく迎えて頂けた気分でした。

 

好きだから、全力でやる

人生では、壁が行く手を遮ってくることを数多く経験されると思います。私は壁に阻まれた時、逃げ出したこともあります。自分を責めてしまいすぎ自分の力では立てなくなった時もあります。だけど、失敗の一つ一つが糧になっています。

自分がやりたいことだから、楽しめることだから、私は叩きつけられても、また歩み続けたのかもしれません。今やれることを全力でやる。私は常に念頭においています。

新たな発見! HSPって素晴らしい。

私ってもしかしたら、HSPじゃないかな。

 

 

HSPとは?

Highly Senstive Personの頭文字をとってHSPと呼ばれています。

簡単に説明すると「過敏な人」「繊細な人」のことです。

これは人間の正常な特徴の一つであって、障害や症状とは異なり、全人口の15~20%もの人が該当します。

繊細な分、神経は高ぶりやすく、クリエイティブな発想が浮かび上がり、物事に対して全力で取り組もうと頑張ります。そして素晴らしい作品をアウトプット出来ます。

しかし、大きな音や光、環境の変化に過敏で、他人の言葉にしない雰囲気も感じ取りやすい。それにより、夜眠れなくなってしまったり、疲れやすくなり、情報処理が間に合わないと、外界の刺激を遮断しようとして内向的になってしまう方もいらっしゃいます。

タイプで言えば、右脳タイプで直観や閃き、芸術的な感性がよく、逆に、左脳タイプのような論理的な思考や言語が苦手です。

 

 

どうすればHSPだと分かるのか?

セルフテストがあります。

少しでも当てはまるなら「はい」

全く当てはまらないか、あまり当てはまらない場合に「いいえ」

 

HSPのセルフテスト)

 

全27項目あるうちに14個以上「はい」がある方はHSPでしょう。

ただし、それを基に個人の人生を丸ごと判断できるような正確なテストはないので、「はい」が一つか二つしかなくても、その度合いが極端に強ければ、HSPかもしれません。

 

 

1年前にセルフテストをやってみました。

初めてHSPという言葉を知った時、直感でHSPじゃないかなと思いました。そしてセルフテストを実施してみましたが、4項目しか当てはまりませんでした。見当違いの結果に笑ってしまいました。

そもそも私は、繊細や敏感ではなかった。衣類のチクチクや、匂いや、音、カフェインに敏感ではありませんでした。そして性格も内向的でもない。

なんで、直観でHSPだと思ったのか謎でした。

 

 

そして今、セルフテストをもう一度やってみました。

結果はなんと、22項目も当てはまりました。テスト結果は、完全にHSPです。

 

 

なぜこんなに、点数が上がってしまったのか。

〔本を読んでいた〕

私はこの1年間に、暇があったら読書をする習慣を始めていました。もともと人生の意味や死生観、内省といった、心理学、哲学、脳科学に興味があるので、人間の本質や、人格や習慣の大切さ、脳の中で起きているメカニズム、人権や差別の問題などを学ばせて頂いた。本から受ける影響もあり、言葉に右往左往されながら生活をしてたので、本から著者の考えが入り込んで、言葉や思考が私の思考になり替わり、セルフテストに向かっていたのかもしれません。

 

〔潜在意識に気が付けてきた〕

私は、過去の自分を振り返った時に、体育会系な母親に育てられ、目立ちたがりで責任感のある役割を任され続け、目の前のことに没頭することが多かった。しかし体罰により体調を崩し休学することや、脅迫的な態度をとる相手と衝突し抑うつになった経験もあった。

環境要因として、責任ある役割を持つことで、外交的な人格が形成されているが、もともとは傷つきやすく繊細な所があるのではないかと、本を読んで自分を振り返る機会を得たのかもしれない。

 

〔質問の見方が変わった〕

セルフテストで質問に答える基準を見た所、『少しでもあてはまるなら「はい」』と書かれていることが引っ掛かりました。少しでもという言葉を念頭に置きながら答えてみると、質問を読んでても、あるよなと思える機会が増えた。

 

 

 

日常生活で変わったこと

週末は家の掃除を行い、物を徹底的に整理し、洋服はシンプルな物を着て、音楽はクラッシックからアニソンまで幅広いジャンルを聞くようになり、夜は瞑想を始めている。これがHSPなのかは分からないけれど、本を読み始めて私がなんだか変わってきました。

 

HSPにとらわれなくても良い

やはり本からの影響を受けていると思う。今HSPだと言われればそうかもしれません。私にとってHSPはポジティブな印象しかなく、クリエイティブな発想をするための特殊能力だと思い歓迎しています。だからと言って、HSPなら出来るとか出来ないとかの固定概念を作りたくはありません。自分の特性を一つ見つけられたことで十分です。新たな発見に喜びを感じています。

コロナウィルスと戦っている皆さんへ。

逆境の中で書き綴った言葉で、あなたの心を軽くしたい。

 

 

不安な気持ちを辛抱する。

 

この不安は乗り越えられるのだと、覚悟に変わる。覚悟を持ってると強くいられる。

 

 

 

今、コロナウィルスに日本国民が戦っている。

感染されて、コロナウィルスと対峙している方々。

外出自粛を求められ、自宅待機を余儀なくされている方々。

経済が麻痺し、苦しい生活を強いられている方々。

小中高の休校により、自宅で生活をしている子供たち。

子どもの為に頑張って下さっている親御さんや施設の方々。

医療の現場で、コロナウィルスの患者さんに懸命に治療を施している方々。

感染拡大を水際で止めている方々。

治療薬の開発に挑んでいる方々。

品薄の続くマスクやアルコール製剤を製造している方々。

 

皆さま、本当にありがとうございます。

きっと乗り越えていける。そう信じています。